ほらね、やる前からわかっていることだ。
今まで何回も言われたことがある言葉だ。
自分も他人に対して思うこともある。
しかし、その「わかっている」ことと、
当事者がやって「わかったこと」には
大きな違いがある。
概念としてわかったことと経験してわかったことを
同義と捉える人が多いように思う。
特に考えるのが得意な人や、挑戦しない人に傾向性が見られるように感じる。
まず直接的経験にはその質感、クオリアがともなう。
見た目おいしくなさそうなケーキがあったとする。
みたらまずそうといって食べないA君。
好奇心で食べてみたB君。
B君がいう「まっずー」
A君がいう「やっぱり、たべなくてもわかるじゃん」
A君はまずいということがわかっても、B君が経験した味(質感)はわかっていない。
それは実際にやってみるという体験を通じてしか知りえないから。
これだけでも大きな違いだが、まだある。
B君は好奇心が満たされたという経験もしている。
人間は何か行動を起こして、得したらその行動が強化される、
またそうしようとなる。
まずいからこのケーキはもう食べないかもしれないが、
別の見たことないケーキにはより手を出しやすくなっているかもしれない。
そして、それは既存製品にはない革命的おいしさかもしれない。
でもA君はそもそも食べようとせず、そのおいしさを体験することはないだろう。
まずいケーキに話を戻して、
食べたB君はその味を分析し、
砂糖が多い、マヨネーズの味もする、醤油の味もする、そのたもろもろ
総合したらまずいとわかった。
けどマヨネーズと醤油だけの部分を食べたら、
この二つの相性がいいことがわかった。
これらはこのケーキのその他の材料との相性は悪かったが、
ほかのものにつけたらおいしくなるかもしれない。
B君の視点次第でこのように次に生きる発想を展開していける。
しかし、B君がこのような視点を持っていたとしても、実際に食べる経験をしなければ、
この発想は発動しないかもしれない。少なくともこの経験がアンカーになることはない。
だって経験していないのだから。
当然A君も経験していないのだからできない。
これだけでも、「やらずにわかること」と「やってわかること」には
大きな違いがあることがわかる。
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