23カス目 忙しいとき⑤

忙しくても、休みは必要である。

だから先週は美術館に行ってきた。

しかし、思ったより自分にとっては人が多かったため、

立ち止まらず出てきた。

長くいるときは、丸一日滞在することもある。

いろいろな楽しみ方があると思うが、

自分の場合は思考の世界にいくことだ。

まず、絵を見て何かを感じる。

感じたことを言語化して、その理由を考える。

感じたこととは別に、

描いた人はどんな気持ちでかいたのか。

なぜかいたのか。

なにかをつたえたかったのか。そうだとするならそれはなにか。

他者につたえたいよりも、とにかく精神世界にあるものを物理世界で表現したかったのか。

ではその精神世界にあったものはなにか。

その時の周りの人の感覚はどうだったか。(大衆の常識)

などなど。

調べればわかることもあるが、それだと楽しくない。

単に知る事が目的ならじっくり眺めたりせず、ぐぐればよい。

後で調べるにしても、まずは自分の頭で想像するために来ている。

したがって、その現象を発現させるためには、主体(私)と対象(絵)の存在

が必須であるが、それだけでは十分ではない。

主体が対象を知覚し、そこからの認識に対して思考を始める、

主体がその活動が行える外部環境が十分に整っている必要がある。

今回はそうではなかった。

したがって、そこに長居しても意味がない。

だから、移動した。

入場料という既に払ったコストを回収したいという気持ちが働き、

長居しようとする人もいるかもしれないが、

人の数が減りそうにないと判断した場合は、

そこにいることがコストの上積みになるから

出た。

株でいう損切のようなものだ。

しかし、訓練と割り切ってあえてその環境に身を置き、

その経験から新しいものを見出すという考えもある。

がしかし、今回はそれをやる元気はなかったので

でてきた。

忙しいの弊害かもしれない。

忙しいには挑戦の機会を奪う危険性が内在している。

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