忙しくても、休みは必要である。
だから先週は美術館に行ってきた。
しかし、思ったより自分にとっては人が多かったため、
立ち止まらず出てきた。
長くいるときは、丸一日滞在することもある。
いろいろな楽しみ方があると思うが、
自分の場合は思考の世界にいくことだ。
まず、絵を見て何かを感じる。
感じたことを言語化して、その理由を考える。
感じたこととは別に、
描いた人はどんな気持ちでかいたのか。
なぜかいたのか。
なにかをつたえたかったのか。そうだとするならそれはなにか。
他者につたえたいよりも、とにかく精神世界にあるものを物理世界で表現したかったのか。
ではその精神世界にあったものはなにか。
その時の周りの人の感覚はどうだったか。(大衆の常識)
などなど。
調べればわかることもあるが、それだと楽しくない。
単に知る事が目的ならじっくり眺めたりせず、ぐぐればよい。
後で調べるにしても、まずは自分の頭で想像するために来ている。
したがって、その現象を発現させるためには、主体(私)と対象(絵)の存在
が必須であるが、それだけでは十分ではない。
主体が対象を知覚し、そこからの認識に対して思考を始める、
主体がその活動が行える外部環境が十分に整っている必要がある。
今回はそうではなかった。
したがって、そこに長居しても意味がない。
だから、移動した。
入場料という既に払ったコストを回収したいという気持ちが働き、
長居しようとする人もいるかもしれないが、
人の数が減りそうにないと判断した場合は、
そこにいることがコストの上積みになるから
出た。
株でいう損切のようなものだ。
しかし、訓練と割り切ってあえてその環境に身を置き、
その経験から新しいものを見出すという考えもある。
がしかし、今回はそれをやる元気はなかったので
でてきた。
忙しいの弊害かもしれない。
忙しいには挑戦の機会を奪う危険性が内在している。
コメント