14カス目 「石の上に3年」いることについて

石の上にも3年という死語?があるが、自分はそれを大事だと思って、忍耐で実践したこともあれば、

気が付いたら3年その石の上にもいたこともある。ほかにも色々な種類の石の上にいろいろな乗っかり方をしてきた。

そこで今の時点で思うのは、石の上での経験を今後活かしてやろうという姿勢や、

またはそう思わずとも体験を自然にストックでき、それを必要に応じて引き出してこれる人ならば、

どんな石の上にどれだけいたかだけに関係なく、

社会的に価値あるパフォーマンスというのはできるように思う。

個々のスタイルというものがあって、自分に合ったスタイルで成果を出すほうがラクだと思う。

「石の上にも3年」という言葉の意味の前提には、「我慢」するという意味があると思う。

そのためには「つらい環境」が必要になる。「楽しい環境」では「我慢」ができない。

石の上の「つらい環境」でも3年間は「我慢する」、すると「我慢」したから得られるものがある。

終身雇用制度という概念が流行っていた時期は、実際に現実化された事もあるし、信じるに値したと

思う人も多かっただろう。また、終身雇用制度を継続させるために、「石の上にも3年」という概念は

ひろめるべきであった。

しかし、万能ではないと自分は思っている。なんでもかんでも3年いればよいというわけではないと思う。1年で十分の所を3年もいたら、2年の機会損失が生まれ、10年必要な所に3年では短すぎる。

もちろん、「3年」という数字は例にすぎないのだろうけど、例えば仕事にしたって、

同じ仕事でもやる人によって適切な年数は違うだろうし、同じ仕事で同じ人でも、

その人のコンディションによっても変わる。

(20代のときと50代のときだとか、独身か家庭があるか、健康なのか病気にかかっているだとか)

そうすると大事なのは、

自分はこの場合はこれだけの時間が必要だと、自分で自分のこれから上にたつ石の価値を判断できる目を持っていること、持っていないならそれを養うこと

だと思う。

それを持っていない人は、どこかで聞いた「3年」をうのみに、とにかく3年いたり、その逆説本を

みて安易にすぐやめたり。

ある一定の成果をだすには頑張る必要はあると思う。

しかし、いくら頑張っても頑張った分きちんと成果が表れる石の上で頑張らないと、

頑張っても成果は出ない。かといって短絡的に、成果の反映される石の上しか選択しないのも、

それなりに成果はでるが、石に依存しているならそれ以上の成果は望めない。

「頑張る」ことは美しく映る。そして「頑張る」ことは良いことだと思われていることが多い。

よってそれの逆に近い「途中でやめる」,「あきらめる」は、

=「頑張ってない」=「よくない」「かっこわるい」などと連想されがちだと思う。

しかし、自分に自信のある価値基準があり、そこに自分の時間という有限のリソースを投資するに

値しないと判断したなら、途中でやめることでその後を犠牲にせずにすむ。

このような話をする際、「他人の目などきにせず」という言葉がよくつかわれるが、

わざわざそんな言葉を使う前提にはそれだけ「他人の目を気にしている」人が多いからだ。

もし全員が「他人の目をきにしない」がデフォルトなら、わざわざそんな事を言う必要はない。

それだけ、人というのはこのようなつながりも含めて互いに影響を与えながら生きているということだ。

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