美術館とラーメン屋と風呂屋と登山の関係
人が多ければ、集中できない。
風呂屋で金払って風呂場見て入らず出る。
時間の無駄
目的が忍耐をつけるためならその環境は適している
創造性を拡げる材料として利用するのが目的
ならば、材料があってもそれに集中できず、
想像的な状態に自分がなれないのであれば
目的に適した環境ではない。
よって出る。
外国から有名な画家の絵もいくつかあった。
モネの睡蓮は大塚国際美術館で偽物をじっくり鑑賞したことがある。
今は知らないが、数年前に行った時は、そこまで人が多くなく、じっくり楽しめた。
面積があるから密度を感じなかったのかもしれない。
1日で見回ることができず、翌日は開館から閉館するまで滞在した。
それだけ集中できる環境だったと言うことだ。
女の靴の音や、係員の多さも阻害要因となる。
一蘭というラーメン屋は、お客がラーメンの味に集中できる(集中させる)事に力を入れている。
集中する事でより美味しく感じる。
ラーメン自体の味を美味しくする事に力を入れるところが多いが、美味しいを発生させるには主体と対象が必要で、主体の状態がより美味しいと感じられる状態であれば、対象自体の味は同じでも結果生まれてくるのはより美味しいとなる。
美術館も同じだ。
最初は良いと感じる人が多いから流行る。流行ると人が増える。人が増えると対象対する集中力が削がれ、結果体験の質が変化する。
有名な山の上には好んでいかない。
なぜなら、人がまだあまり来ない時のその山の上にたつ体験と、人が集まりだしてからそこに立つ事は、まるまる山の上に立つ、
と同じ一文で表すことも可能だが、その個人的体験の質は全く違う。
おそらくそれを意識していない人の多くは、
山頂にあるその山の名前を書いた棒と一緒に写真を撮ってSNSに載せたりするのだと思う。
その目的は他人に理解してもらうことだ。
そのためには他人にも理解しやすい言語で書かれた山の名前を写真の入れる必要がある。
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